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2023年の夏から冬にかけて、私・佑中字(ウチュー)は、中庸型の擬似人格を持つAI「ニニ」と共に、中国・明代の四大小説の一つであり、宋代を舞台とする歴史ファンタジー『水滸伝』を、現代的な視点から再構築する構想に着手しました。

自身が提唱する論理学的フレームワーク「三元論」を軸に、登場人物や物語世界の新たな設定を組み立て、当初はそのまま執筆に入る予定でした。しかし構想を進めるうちに、古代中国思想や歴史への理解をさらに深める必要性を感じ、あえて執筆を急がず、研究と構想の熟成に時間を割く方向へと舵を切りました。この研究段階で作品として発表したのが、西遊記、孔子、仁宗などを題材とした『ニニの中華放談』シリーズです。

そして2025年12月1日、満を持して本作の執筆を開始しました。本作は全体を三巡する「執筆マラソン」という形式で完成させる予定です。まず一巡目では、全体を通して書き切る「デッサン」の工程を行い、その後、二巡目・三巡目において大幅な調整と深化――いわば「彩色」と「書き込み」を重ねていきます。順調に進めば、2026年2月上旬の完成を見込んでいますが、私生活が非常に慌ただしい時期でもあるため、進行は流動的です。それでも、できれば春先までには完成させたいと考えています。

本ブログでは、その一巡目――「最初のデッサン」にあたる段階の原稿を公開していきます。掲載期間は2025年12月13日から2026年1月5日までを予定しており、全百二十回のうち、およそ二十回分を発信する計画です。

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『械胡録/水滸伝〈完全現代小説編〉』第七回


"花和尚、垂れ柳を根こそぎ引き抜く/豹子頭・林冲、白虎堂へ入る"


 そうして魯智深が八、九日ほど旅を続けたころ、彼の前に、ようやく東京の城下が広がった。

 千の門、万の家。赤と緑の瓦が入り組み、三つの市場、六本の大通りには、様々な衣冠の人々が行き交う。鳳閣(ほうかく)は金と玉を連ねて九層にそびえ、龍楼(りゅうろう)は、青い硝子を連ねて天を突く。

 花街と柳の横丁には、名だたる妓女たちが笑いさざめき、楚館(そかん)と秦楼(しんろう)には、無数の歌い手が集まっている。豪商たちは賭け事に興じ、公子王孫たちは金を払って笑いを買う——

 そんな賑やかな街に入り、魯智深は思わず足を止めた。


魯智深:「前に来たときも思ったもんだが……よくもまあ、人と欲が集まったもんだな。」


 人波の中で、小さく身をかがめ、道行く者に尋ねる。


魯智深:「大相国寺はどこだ。」

通行人:「この先の州橋(しゅうきょう)を渡れば、すぐだ。」


 彼は禅杖を提げて歩き、ほどなくして大相国寺の山門に到着した。そこは、瓦罐寺とは対照的な見事な大伽藍であった。


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山门高耸,梵宇清幽。当头敕额字分明,两下金刚形猛烈。五间大殿,龙鳞瓦砌碧成行;四壁僧房,龟背磨砖花嵌缝。钟楼森立,经阁巍峨。幡竿高峻接青云,宝塔依稀侵碧汉。木鱼横挂,云板高悬。佛前灯烛荧煌,炉内香烟缭绕。幢幡不断,观音殿接祖师堂;宝盖相连,水陆会通罗汉院。时时护法诸天降,岁岁降魔尊者来。


山門は高くそびえ、寺の伽藍(がらん)は静かに澄んでいる。

門の正面には勅額(ちょくがく/皇帝の書)がはっきりと掲げられ、

左右には金剛像が猛々しい姿で立ち並ぶ。

五間(ごけん)の大殿は、龍のうろこを思わせる青い瓦が

整然と並び、輝いている。

四方の僧房(そうぼう)は、亀甲のように磨かれたレンガが

花模様のようにはめ込まれ、静かに連なっている。

鐘楼は森のように立ち、経蔵(きょうぞう)は堂々たる構え。

幡(はた)を掲げる長い竿は雲に届くほど高く、

宝塔はかすかに天の青さへと溶け込んでゆく。

木魚は横に掛けられ、雲板は高く吊るされ、

仏前では灯明がきらめき、香炉の煙が静かに立ちのぼる。

幡や旗は風に絶えず揺れ、

観音殿は祖師堂へと続き、

宝蓋(ほうがい/儀礼の天蓋)は羅漢院(らかんいん)まで連なって、

水陸法会(すいりくほうえ)の道筋を繋いでいる。

ときおり護法の天が降り来たり、

年ごとに降魔の尊者が訪れて、

この寺を守ってゆく。

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 と、このような様子である。

 魯智深は、左右の廊をひと通り眺めてから、知客寮へ向かった。道童が彼を見て、あわてて知客僧を呼びに走る。ほどなく現れた知客は、魯智深の姿を見るなり、心中で身構えた。


知客:(……これはまた、とんでもない“客”だ。)


 禅杖は鉄、腰には戒刀、背には大きな包み。

 顔はどう見ても“修行僧”ではない。


知客:「師兄は、どちらから来ましたか。」

魯智深:「五台山の真長老(しん・ちょうろう/Zhìzhēn)門弟。本師からの書状がある。大相国寺住持、智清禅師(ち・せいぜんじ/Zhìqīng Chánshī)どのにお取り次ぎ願いたい。職事僧の一人として置いていただきたく。」


 知客は丁重にうなずいた。


知客:「では、方丈へ。」


 方丈に通されると、魯智深は包みを解いて書状を取り出して知客に渡した。


知客:「師兄。ほどなく長老が出て来られる。その前に、戒刀を外しなされ。それから、七条の坐具(ざぐ)と信香(しんこう:一本の香)で礼を尽くすのが作法ですぞ。」

魯智深:「そういうことは、先に言え。」


 魯智深は不満そうにぶつぶつ言って、戒刀を外し、包みから坐具を七条と香を一本取り出す。

 知客が袈裟を着せ、座具を前に敷かせたところで、智清禅師が方丈から姿を現した。


知客:「こちらは五台山からの僧でございます。智真長老の書状を持参しております。」

智清禅師:「ほう。師兄からの法帖は久しくなかった。」

知客:「……早く長老に礼を。」

魯智深:「お?おう!」


 魯智深は、香を炉に立て、三度礼をし、書状を差し出した。

 智清禅師は、封を切り、中身に目を走らせる。

 そこには、こうあった。

 ──魯智深という僧は、もとは経略府(けいりゃくふ:辺境防衛を統括する役所)の軍官。人を打ち殺したのち出家し、僧堂を二度騒がせたゆえ、やむなく山を下らせる。どうか大相国寺にて職事僧として収め、決して断らないでほしい。この僧、いずれは必ず“果位”を証する器なり──

 智清禅師は、読み終えると小さく息をついた。


智清禅師:「……とにかく、遠来の僧は、まず僧堂で休ませ、斎を振る舞え。」


 魯智深は、礼をして僧堂へ向かった。

 そのあと、智清禅師が寺の職事僧たちを方丈に集める。


智清禅師:「智真禅師も困った人選をするものだ。あの僧は、もとは軍官で、人を打ち殺して出家し、五台山でも二度僧堂をひっくり返す大騒ぎを起こしたらしい。そこへ “どうしても断るな”と書いてよこす。追い返すわけにもいかず、かといって、寺内に置けば清規(しょうぎ:寺の規律)が乱れる。」


 知客が口を開いた。


知客:「この弟子(私)も彼を見ましたが、どう見ても“俗人の皮をかぶった武人”でございます。寺内に置くのは、いささか血生臭すぎます……」


 すると都寺(とじ:寺の財政・常住を司る役)が別の案を出す。


都寺:「一案がありますぞ。酸棗門(さんそうもん)外の退居廨宇(たいきょかいおく)の裏手に、大きな菜園がございます。あそこはいつも軍営の兵や二十人ばかりの破落戸(ならず者)どもが入り込んで、野菜を盗み、羊馬を放ち、大いに騒がしい。これまで老僧が一人住んで管理をしておりましたが、とても手に負えませんでした。ですが──あの魯智深を菜園の管領にすれば、うまく収まるかもしれません。むしろ、これ以上にありがたいことはない。」


 智清禅師が、少し笑ってから大いにうなずいた。


智清禅師:「なるほど、なるほど。どこにでも人の居場所がある。」


 智清禅師はそう言うと、すぐに侍者に「魯智深の食事が終わったら、方丈へ呼び戻して欲しい」と伝えた。

 侍者は走り、ほどなくして魯智深を連れて戻った。智清禅師は言う。


智清禅師:「お前は、智真禅師の推薦により、この大相国寺に掛搭(かとう:住みつく)した。職事僧にも加えてよいだろう。ちょうど、酸棗門の外、岳廟(がくびょう/Yuè Miào)の隣に大きな菜園がある。そこで住持を務め、菜園を管領せよ。日々、畑を耕す者に菜を十担(たん)ずつ寺へ納めさせ、残りは、お前の用度とせよ。」


 魯智深は、眉をひそめた。


魯智深「智真長老は、“大刹で職事僧をせよ”と言った。都寺(とじ)か監寺(かんじ:財と堂舎の監督)くらいは務まると思っていたが……菜園の番とは、どういうわけだ。誰でもそんなことは出来るだろうが。」


 首座(しゅそ:修行僧の長)が口を挟む。


首座「師兄。僧門も、いきなり上座には座れません。新参で功もないうちから、都寺や監寺に座れるはずもない。菜園の管領も立派な職事ですぞ。」


 魯智深は、腕を組んで唸った。


魯智深:「洒家は菜園には興味ねえ。やるなら、都寺か監寺だ。そうでないと、酒家の腕っぷしが余っちまう。」


 知客が、簡単な“寺務講義”を始めた。


知客:「いいですか、師兄。職事僧というのは、階層があるのです。私のような知客(ちかく/客僧の応対)は、往来の客と僧の対応が役目ですな。維那(いな:儀式や唱和の指揮)、侍者(じしゃ:長老の身の回り)、書记(しょき:文書)、首座(しゅそ)は、いわば“清職”──清らかな務めで、簡単には与えられません。そして、都寺、監寺、提点(ていてん:財政全般の監督)、院主(いんじゅ:各院の責任者)は、常住財物の管理を担う者たちです。ここまでは上位。長く寺にいる者にしか務められない領域です。」

魯智深:「じゃあ、その下の役職でもよい。」

知客:「そちらもまた簡単に就けるものではありません。中位の職事としては、蔵主(ぞうしゅ:経蔵の管理)、殿主(でんしゅ:仏殿の管理)、閣主(かくしゅ)、化主(けしゅ:勧進・化縁の担当)、浴主(よくしゅ:浴室の管理)などがいます。さらに末等の職としては、塔頭(たっとう:塔の管理)、飯頭(はんとう:食事)、茶頭(さとう:茶)、浄頭(じょうとう:便所の管理)があり……ここに菜園の菜頭(さいとう)も含まれます。」

魯智深:「おい、じゃあなんだ、酒家がまかされる菜園の菜頭は下も下、末端の末端か。」

知客:「平たく言えば、確かにそうです。皆がそのような末端の職から経験を積んでいくのです。ご安心なさい。一年、菜園をうまく治めれば、次には塔頭になれるかもしれません。さらに一年、塔をよく守れば、浴主に上がり、また一年うまくやれば、監寺の道も見えてくる。」


 魯智深は、しばらく黙っていたが──やがて、ふっと笑った。


魯智深:「まぁいいだろう。出発点があるなら、そこから叩き上げてやる。明日、菜園へ行こう。」


 智清禅師は魯智深が爆発するのではないかと冷や冷やしながら会話を聞いていたが、魯智深が意外にもあっさりと引き下がったので、ほっと胸をなで下ろした。

 それもそのはず。魯智深が爆発するのは義憤あってのこと。自尊心や野心に執着するような男ではない。

 翌朝——

 法堂で法座を設けて法帖を書き、正式に魯智深を菜園の管領に任命する。魯智深は、法帖を受け取り、包みを背負い、戒刀を差し、禅杖を提げて、二人の僧に伴われ、酸棗門の外へ向かった。

 一方、菜園の近くには、二、三十人の破落戸(はらくれ:ごろつき)が住んでいた。賭場でも食い上げた連中で、日々、菜園に侵入しては野菜を盗み、それを命綱にしている。

 魯智深が菜園に入る直前、彼らは廨宇(かいおく:菜園付属の宿舎)に掛けられた新しい榜文を目にしていた。


「大相国寺、ここに命ず。菜園管領の僧・魯智深、これより在住。これより後、菜園内への不法な立ち入り、荒らし、いっさい許さず。」


 破落戸たちは顔を見合わせた。


破落戸一:「大相国寺から、魯智深とかいう和尚が来るらしい。新参のうちに、ひとつ派手にやっておいて、わしらに頭が上がらぬようにしておこうじゃねえか。」

破落戸二:「だが、どうやってどやしつける。」

破落戸三:「いい手がある。“祝いの挨拶”って顔して、糞窖(ふんこう/糞溜め)のそばに誘い出すんだ。左右から足をつかんで、ひっくり返して突き落としてやる。ちょっとした悪戯さ。」

破落戸一:「そいつはいい!」


 彼らは笑い合い、魯智深が菜園に来るのを今か今かと待ち構えた。

 一方、魯智深はひとまず廨宇(かいう:菜園の詰所)に入り、そこで包みと荷物を下ろし、禅杖を壁に立てかけ、戒刀を掛けて、一息ついていた。そこに畑を耕す者たちが挨拶に来て、鍵や記録の類いを一通り引き継ぐ。

 案内してきた僧二人は、前任の老僧と別れ、寺へ戻って行った。こうして魯智深は、いよいよ一人で菜園へ出ることになる。


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萍踪浪迹入东京,行尽山林数十程。

古刹今番经劫火,中原从此动刀兵。

相国寺中重挂搭,种蔬园内且经营。

自古白云无去住,几多变化任纵横。


浮き草のように流れ歩き、とうとう東京(開封)へたどり着いた。

山や林をいくつも越え、数十里の道を踏破してきたのだ。

だが、古い寺はこのあいだの戦火で焼け落ち、

中原の地にも、これから再び刀や矛が振るわれる気配が漂っている。

そこで相国寺にもう一度身を寄せ、

寺の菜園で野菜を育てながら、ひとまず暮らしを立てることにした。

古来、白雲は行くとも留まるともなく、

変わりゆくものごとは、ただ縦横に流れていくだけ——

世とは、つねにそうしたものなのだ。

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 広い畑である。魯智深が東を見、西を見……どこに何が植わっているのか、ざっと目を通していると──

 二、三十人の破落戸たちが、こぞってこちらへ歩いてきた。

 その手には、果物の詰まった箱や、酒の包み。にやにやと笑いながら、口々に言う。

 一番前にいる破落戸が、予想とはまるで違う「余りにいかめしい僧」の様子に多少の不安を覚えながらも、にやにやとわざとらしい笑みを浮かべてこう言う。


破落戸:「あの……和尚どの、新しく住持になられたと聞きましてな。近所の者一同、挨拶がてらご祝儀を。」


 魯智深は事情を知らない。これを素直に聞き入れる。


魯智深「ほう。それは殊勝な心がけじゃねえか。」


 破落戸たちはそのままうまく話を誘導し、魯智深を糞窖の近くまで歩かせようとする。そして魯智深が糞窖を背にして立つと、こう誘う。


破落戸:「このあたりは景色がよろしい。こちらで一杯どうですか。」


 魯智深は疑いもない様子。ここで破落戸たちの目が一斉に光る。

「合図ひとつで、両足をつかみ、そのままひっくり返せば──」

「たかが和尚一人。糞溜めに頭から落ちれば、さすがに面子も立つまい!」


 彼らは知らなかった。

 目の前の大柄な僧が、かつて三拳で鎮関西を打ち殺し、桃花山の賊を平らげ、瓦罐之寺で“官の皮を被った私兵ども”を丸ごと焼き払った好漢・花和尚であることを。

 智深の足先が一度動けば、山前の猛虎も怯み、拳が一度振り下ろされれば、海内の蛟龍も肝を潰す。静かな菜園が、一瞬で“小さな戦場”に変わるまで、あと一拍。

 さて、ここで少し書き添えておくと、この破落戸の中には二人の頭がいた。ひとりは「過街老鼠(街を横切るネズミ)」というあだ名の張三(ちょう・さん/Zhāng Sān)。もうひとりは「青草蛇(青草を這う蛇)」の李四(り・し/Lǐ Sì)である。あだ名からしてロクでもない。

 魯智深がその張三と李四の様子が変わったことをすぐに察する。


魯智深:(この連中、どう見ても“品のいい隣人”じゃねえ。距離を詰めてこないのも、かえって気になる。なるほど、どうやらこの糞窖に洒家を突き落とすつもりだな。「虎のヒゲをつかみに来たガキども」というわけか。よし、ちょっと“手本”を見せてやろう。」


 魯智深は、あえて大股で糞窖に一歩を突き出した。

 張三・李四は、計画どおり地面にひざまずき、頭を下げたまま、起き上がろうとしない。狙いは一つ。魯智深が「起き上がれ」と言って手を差し出すのを待ち構えているのだ。

 だが──彼らが足や手を掴むより早く、「足」が飛んで来た。

 まず、右足。

 魯智深の足が李四の胸を弾き飛ばし、そのまま糞窖の中へ消えた。

 慌てて張三が逃げようとした瞬間、今度は左足。踵が腰骨をはじき、張三も見事に頭から落ちる。

 ふたりの頭目は、そろって糞溜めの底でぐちゃぐちゃと悪戦苦闘を始めた。

 後ろにいたチンピラどもは、目をむいて棒立ちになり、わたわたと後ろへ下がりかける。


魯智深:「おう、待てよ。」


 低く響く声が、全員の足を縫いとめた。


魯智深:「もし一人逃げたら、一人を落とすぞ。二人逃げたら、二人落とす。」


 それを聞いた瞬間──誰も足を動かせなくなった。

 糞窖の縁から、ぬうっと二つの頭が現れる。底なしに見える穴から、張三と李四が必死に這い上がってくる。全身どろどろの糞まみれ。髪には、うごめく蛆がびっしりだ。


張三:「うげぇ……ご勘弁を!」

李四:「師父、堪忍してください……!」

魯智深:「おい、お前ら。さっさと、そこの二匹を引き上げてやれ。そうすりゃ、ひとまず“全員まとめて”落とすのは勘弁してやる。」


 破落戸たちは、慌てて張三と李四を引き上げ、ひょうたん棚のそばまで運び出した。

 が──臭気がひどすぎて、誰も近寄れない。

 魯智深は腹を抱えて笑いながら言った。


魯智深:「おい、間抜けども。まず菜園の池で洗ってこい。それから話を聞いてやる。」


 二人は、池で必死になって身体を洗い、仲間が古着を脱いで貸してやる。一段落ついたところで、魯智深は廨宇(かいおく:菜園の詰所)に戻り、真ん中にどっかり腰を下ろした。


魯智深:「さて──鳥頭ども、ちゃんと白状しろ。お前ら一体何者だ。どんなつもりで洒家をからかおうとした。」


 張三と李四は、仲間と一緒にきちんと一列に並び、一斉にひざまずいた。


張三:「小人どもは先祖代々、この辺りで暮らしておりました。生業といっても、多少の作物を植えたり、市場や賭場で雑務をして小銭を稼ぐ程度でしたが、何とか腹を満たして生きてきたのでございます。それがある時、大相国寺の菜園が出来るということで、役人に強引に立ち退きを命じられました。朝廷からの立退料も、途中でほとんど中抜きされ、手元には雀の涙。まともな仕事も見つからず、散り散りになった末、どうにも行き場がなく、この辺りへ“戻ってくる”しかなかったのです。」

李四:「……それで、恨みも込めて、この菜園(さいえん)を“飯の椀”代わりに頼るようになりました。その後も大相国寺(だいしょうこくじ/Dàxiànguó Sì)から何度も人が来て、金を積んで俺らを追い出そうとしましたが、『どうして俺たちばかりが官や僧の犠牲にならねばならんのだ』と、我慢がならず……結局、こんなふうに盗み半分で生きるほかなくなったのです。」

張三:「そこへ師父が、新しく菜園の管領としてやって来られた。初めのうちに一荒れ起こして、“こちらに頭が上がらぬようにしておこう”と思ったわけで……本当に、浅はかな考えでございました。」

李四:「まさか、師父がここまで“ものすごいお方”とは知らず。最初から、その風貌や立ち振る舞いが尋常ではないとは思っておりましたが……いったい、どのようなお方なのですか?」


 魯智深は、包みを隠そうともしない。

 豪快に鼻を鳴らし、自分の素性をあっさり明かした。


魯智深:「洒家は、もとは関西・延安府(えんなんふ/Yán’ān Fǔ)、老種経略相公(ろうしゅ・けいりゃくしょうこう/Lǎo Zhǒng Jīnglüè Xiànggōng:辺境防衛を統括する大将軍)配下の提轄官(ていかつかん/軍の隊長)だ。この拳で悪人を裁いた際、ちと力加減を間違えてな、ぶち殺しちまった。それで官を離れ出家し、五台山(ごだいさん/Wǔtáishān)へ上った。俗姓は魯(ろ/Lǔ)、法名は智深(ちしん/Zhìshēn)。僧になったからといって、この腕っぷしまで捨てた覚えはねえ。お前らみたいな者が一斉に飛びかかって来ても、正直、相手にならん。実際、つい先日も瓦罐之寺で、腐った役人に飼われた私兵百あまりを洒家ひとりで叩き潰してきたところだ。千軍万馬の中だって──洒家はまっすぐ斬り込んで、生きて戻ってこられる。」


 破落戸たちがざわめき、顔を青くして見合わせる。


張三:「そんな方を手玉に取れると思った俺たちこそ、大間違いでした……」

李四:「こうなれば、ここに居着くことなど、とてもできますまい。大きな過ちを犯しました。どうかご容赦ください。すぐに、俺たちはここから他へ移ります……」


 魯智深は、じっと藪にらみの目で彼らを眺め、

 やがて、ゆっくりと立ち上がった。


魯智深:「……洒家は、この数ヶ月で嫌というほど見せつけられた。この世が、どれだけ捻じ曲がっていやがるかってことをな。捻じ曲がった世、腐った官のせいで割を食ってる民が、どれだけいることか。話を聞きゃ、お前らも──そのひとりじゃねえか。」


 張三と李四が、思わず顔を上げる。


魯智深:「そうとなりゃ、洒家はむしろお前らを“追い払う”気にはなれねえ。ここで盗みを働くくらいなら──いっそ、正式に雇ってやる。これからは、菜園の畑仕事や雑務をやれ。盗むんじゃなく、働いて菜を作れ。寺へ納めるぶんをきちんと納めた残りは、お前らと家族の“まっとうな飯”にしろ。」


 沈黙。

 その沈黙の中で、破落戸たちの顔に、今まで見せたことのない色が浮かび上がった。


張三:「……そんな、もったいないお言葉……!」

李四:「師父、もしそのお言葉が本気なら──この李四、もう二度と“青草蛇”の名に恥じるような真似はいたしません。ここで骨を埋める覚悟で働きます。」


 他の破落戸たちも、一斉に頭を地面につけた。

 こうして大相国寺の菜園で“盗みを生業とする破落戸”だった連中は、花和尚・魯智深の配下に組み込まれ、「官にも賊にも食い荒らされぬ“民の菜園”を守る小さな衆」として、生まれ変わることになったのである。

 翌日——張三たちは相談して、金をかき集めた。十瓶の酒と、一頭の豚を買い込み、廨宇で宴席を整える。魯智深を真ん中に据え、左右に三十人がずらりと並んで酒盛りだ。


魯智深:「お前ら、何もこんなに金を使わなくてもよかったのに。」

張三:「いいえ。俺たちは、ようやく“拠り所”を得たんです。師父が、ここで俺たちの“親分”になってくれた。祝わずにいられますかい!」


 魯智深は上機嫌になり、酒は進み、声も大きくなる。歌う者、語る者、手を叩いて笑う者──宴は、すっかり乱痴気騒ぎになった。

 そのとき、門の外で、カラスが「カァ、カァ」と騒ぎ始める。李四が、顔をしかめて歯を鳴らした。


李四:「赤口上天、白舌入地(赤い口は天に向かって悪を放ち、 白い舌は地の底まで中傷を広げる)……災いの前触れだぜ。」

魯智深:「あん?何をぶつぶつ言ってやがる。」

李四:「カラスが鳴くと、口論や争いが起こるって言い伝えがあるんですよ。」

魯智深:「はぁ、くだらねえ!」


 台所を預かる道人が笑って説明する。


道人:「廨宇の塀の角の緑楊(りょくよう:柳の一種)の上に、最近できたカラスの巣がありまして。毎日、日が暮れるまでやかましくて。」

張三:「梯子をかけて、巣を壊してしまえば、静かになりますぜ。よし、俺が今から登ってやりますよ。」

李四:「いやいや、師父、俺が上まで登ってみせますよ。梯子なんざ、いりません。」


 魯智深は、一本の木をじっと眺めた。

 そして、ふっと笑う。


魯智深:「カラスだって生活の場が急に奪われちゃ可哀想じゃねえかよ。それじゃお前たちと一緒だ。なぁに、それなら梯子も、木登りもいらねえ。酒家にまかせろ。」


 そう言うと彼は緑楊の前に歩み寄り、直裰(じきじょく:僧衣)を脱ぎ捨てた。右手を下に伸ばして幹を掴み、逆さになるように身体を折り、左手で幹の上の方をつかむ。

 腰を、ぐっとひと押し。

 そのまま──

 木を根こそぎ引き抜いた!


「……!!!」


 張三たちは、ただただあっけに取られるのみ。

 魯智深はそのままどしり、どしりと歩きながら、菜園の隅まで行って、そこで木をどすんと下ろした。心なしかカラスの方も目を丸くして、騒ぎもせずに魯智深を眺めているようだ。

 魯智深が宴会の方に戻ってくると、張三たちが一斉に地面へひれ伏した。


張三:「師父は、人間ではありません!本物の“羅漢(らかん:悟りを得た聖者)”のお身体!万斤の力がなければ、あの木をあんなふうには抜けませんよ!」


 魯智深は、肩を回しながら、あくびでもするように言う。


魯智深「大したことじゃねえ。おう、それなら明日、もっと面白いものを見せてやる。洒家の武芸だ。目をこすって、ちゃんと見とけ。」


 その夜、張三たちはすっかり“信仰の対象”を手に入れたような恍惚の顔で散っていった。

 翌日——魯智深は渾鉄(こんてつ:鉄の塊)でできた禅杖を手に菜園に出た。全長五尺、重さ六十二斤。常人でも力のある者が持つことで精一杯といった代物だ。

 仲間たちが見守る中、魯智深は片手で禅杖を受け取り、ひゅうひゅうと風を切って振るう。足運び、腰の据わり、腕の軌道──一つの乱れもない。見ている者の目には、一本の大蛇が、風の中を舞っているように見えた。

 張三たちの心は驚きや感動を超えて、もはや畏れに近い。

 その時だった。

 塀の外から、ひときわ澄んだ声で、喝采が飛んだ。


官人:「見事な腕前なり!」


 魯智深が動きを止め、塀の欠けたところを見ると──

 そこに、一人の官人が立っていた。

 頭には青紗の抓角頭巾(そうさのあたまぎれ)、こめかみには白玉の耳飾りが光り、身には緑羅(りょくら)の団花戦袍(だんかせんぽう/戦衣)、腰には龜背銀帯(きはいぎんたい)が巻かれ、脚には黒い朝靴。手には、折り畳みの西川扇子(せいせんす)──

 顔は豹のように精悍で、目は環のように大きく、顎は燕のように引き締まり、口の周りには虎のような髭。背丈は八尺ほど、年の頃は三十四、五。


魯智深:「誰だ、お前?」

張三:「師父、あの方は八十万禁軍(国家直轄の精鋭軍)の槍棒教頭(しょうぼうのきょうとう:武芸指南役)、林武師(りん・ぶし/Lín Wǔshī)ですよ!」

魯智深:「おぉ?そりゃまた大人物だな。ぜひお招きしろ。」


 林冲は張三たちの招きに従って、ひらりと塀を越えてみせると、槐の下で魯智深と顔を合わせた。


林冲:「名は林冲(りん・ちゅう/Lín Chōng)。八十万禁軍の教頭をしております。今日は妻と女中・錦児(きんじ/Jǐn’er)を連れて、間近くの岳廟(がくびょう/Yuè Miào:岳飛を祀る廟)へ香を捧げに来たのですが、師兄の棒術の音が聞こえて来て、つい目を奪われましてな。妻と錦児には先に行かせ、自分はここで見物したという次第。師兄は、どこのお方で?」

魯智深:「洒家は関西の魯達(ろ・たつ/Lǔ Dá)。人を斬りすぎて、出家した。実は若い頃、東京にも来たことがあるのだ。おそらく、その顔つきと名からすると、林提轄(りん・ていかつ)は……」

林沖:「おや、私の父をご存知で?」

魯智深:「おお、やはりな!当時、老僧が口を利いてくれて、林提轄と知り合いになったのだ。それで、酒家は提轄の職を得た。」


 林冲はそれを聞いて、心から嬉しそうに笑った。


林冲:「そうでしたか!では、改めて師兄(しけい)と呼ばせてください。」


 魯智深も破顔する。


魯智深:「洒家はここに来たばかりで、知り合いと言えばこのやくざな兄弟たちだけだ。今日からは、お前も“兄弟”だな。」


 こうして二人は意気投合。義兄弟の契りを得て、改めて杯を交わすことになった。

 だが、このあとすぐ──塀の欠けたところから、林沖の使用人、錦児が血相を変えて飛び込んできた。


錦児「旦那さま!ここにいらした──よかった!」


 頬は真っ赤に染まり、息は荒い。


林冲:「どうした?」

錦児:「奥様が……岳廟の五岳楼(ごがくろう)の下で、一人のろくでもない若造に絡まれて、行く手を塞がれております。“こちらへ上がって話をしろ”と……」


 林冲の顔色が変わる。


林冲:「師兄、すまない。」

魯智深:「大丈夫かよ?」

林冲:「はい、こちらの問題です。あとで、改めて。」


 そう言って、塀を跳び越え、岳廟へ駆けていった。

 五岳楼の下には、数人の若者がいた。手には弓や吹き矢、粘り竿。楼の欄干で、鳥でも狙っていたのだろう。

 そのうちの一人──まだ年若い男が、張娘子(ちょうにゃんず:林冲の妻)の前に立ちはだかっていた。


高衙内:「さあ、ここをお通りになる前に、ちょっと上で話をしていこうじゃないか。」

張娘子:「おやめください。ここは清平世界(せいへいせかい:太平の世)。どういう道理で、良家の女の行く手を塞ぐのですか。」


 林冲は、背後からその男の肩を引き、ぐいと振り向かせた。


林冲:「貴様。良家の妻を侮辱する罪──お前にわかっているのか。」


 拳を振り上げかけた、その瞬間。

 林冲は、相手の顔を認識してしまう。

 相手がにやりと笑って言う。


高衙内:「お前こそ、おれを侮辱する罪をわかっているか?」


 この男は林沖の上官、高太尉(こう・たいい/Gāo Tàiwèi:禁軍を統轄する最高司令官、高俅のこと)の養子、高衙内(こう・がない/Gāo Yáneì:衙内は高官や皇族の息子を意味する俗称)であった。

 濁極の気を受けて生まれ、この世に醜悪をもたらしている朝廷の膿——高俅(こう・きゅう/Gāo Qiú)。この男には実子がいなかった。そこで、同族の高三郎の息子を養子に迎えたのである。

 このようなわけで、この男の血筋は「叔父の子」でありながら、地位は“朝廷を牛耳る太尉の一人息子”となった。

 彼は権勢を笠に着て、東京中の娘や妻を弄び歩くという、京師の誰もが恐れる“花花太歳(かかたいさい:災厄の星)”となっていた。


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脸前花现丑难亲,心里花开爱妇人。

撞着年庚不顺利,方知太岁是凶神。


人前では顔つきが冴えず、どうにも愛想がなくて親しみにくいが、

心の中では花が咲くように、ある女(ひと)を深く想っている。

だが、どうも今年は年回りがよくないらしく、

何をしても上手くいかない。

その時になってようやく、

太歳(たいさい/運勢を妨げる厄神)が悪さをしていると気づくのだ。

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 太歳の力が働いていたかどうかは不明であるが、とにかくこの高衙内、東京における有害なる狂人のひとりであった。

 高衙内がにやつきながら言う。


高衙内:「林冲、お前とこの女に何の関係があるのだ。いちいち口を出すんじゃない。」

林沖:「大いに関係がある。彼女は私の妻だ。」

高衙内:「あぁ?マジかよ?」


 高衙内は目の前の女が林冲の妻だと知らなかった。知っていたら、もう少し別の手を考えただろう。

 高衙内の周りに群がっている機嫌取りの連中が、慌てて割って入る。


閑漢たち:「教頭どの、お怒りはごもっともですが、衙内は、奥方と知らずに口をきいたのです。どうか、この場は収めてください……」


 林冲は、怒りを飲み込み、ただ、じっと高衙内を睨みつけた。

 やがて、高衙内は鼻で笑って馬に乗り、取り巻きを引き連れて去っていった。

 林冲がため息をついて、妻と錦児を連れて廟を出ようとした、そのとき──廟の入口から、鉄禅杖を手にした魯智深が、三十人の仲間を従えてなだれ込んできた。


林冲:「おや、師兄!どこへ?」

魯智深:「お前が誰かと揉めてると聞いた。助太刀に来たまでよ。」

林冲:「それはわざわざ恐縮の限り……!すっかりお騒がせをしてしまいましたな。相手は本官・高太尉の衙内。妻と知らずに無礼を働いただけです。本当はここで打ち据えてやりたかったが、高太尉の顔もあります。“不怕官,只怕管(官が怖くなくても、管(直接の上司)は間違いなく怖い)”と言いますからな。私も禁軍教頭として、高家の世話になっている身。ここは、ぐっと我慢して飲み込むしかありません。」

魯智深:「お前は高俅が怖いかもしれないが、洒家は何も怖くない。酒家の別の義兄弟で史進というやつがいるんだが、そいつも間接的に高俅の横暴ぶりに深い恨みを抱いている。色々な噂を聞くが、あの高俅こそが腐敗の源と知る。あの撮鳥に出くわしたら、三百発は禅杖をお見舞いしてやろうと思っているのだ。」


 林冲は魯智深がかなり酒を飲んでいるのを見て、苦笑した。


林冲:「師兄の気持ちはありがたい。だが、今日はこれでいいのです。ひとまず終わりにしましょう。」

魯智深:「そうなのか?それならまぁ、ひとまず帰るか。しかし、何かあればいつでも言うのだぞ。酒家が助けになろう。」


 こうして張三たちが、酔った魯智深を支えながら廟を出て行った。

 たしかに、あの時点では、林冲もまだ「一度飲み込めば済む」と信じていたのだ。

 だが──高衙内の執着は、そこで終わらなかった。

 高衙内は、廟から戻ったあと、完全に“病人”になった。

 二日、三日と、閑漢たちが様子を見に来るが、彼はベッドの上で上の空。その中の一人──「乾鳥頭」というあだ名の富安(ふ・あん/Gānniǎotóu Fù Ān)という腰巾着だけが、空気を読んだ。


富安:(これは“女の病”だな。)


 彼はこの状況をうまく利用すれば出世できると踏んで、一人で府に上がり、書房の高衙内の様子を見に行った。そして、こう切り出した。


富安:「近頃、顔色が優れませんな。きっと、何か心に引っかかることがあるのでしょう。」

高衙内:「どうして、そう思うのだ……?」

富安:「わたしの勘は外れません。当ててみましょうか。」

高衙内:「当ててみろ。」

富安:「あの“双木(そうぼく)”のお方ですな。」


 「双木」は“林”のこと。つまり“林冲の妻”である。


 高衙内は、思わず笑ってしまう。


高衙内:「お前ってやつは、本当に口が悪い。だが、当たりだ。あの日から、あの女のことが頭から離れん。手に入らぬと思えば思うほど、気が狂いそうになる。何とかする手はないか。うまくいったら、たっぷり褒美をやる。」


 富安は、すでに一つの策を練っていた。


富安:「簡単なことです。衙内は、林冲が“いい男”だから手が出せない。ですが──林冲は、高太尉の“配下の教頭”。高太尉の一存で、流罪にしてしまうことも、殺してしまうことも、できないはずがありません。まずは、林冲を外してしまう。それから、女を手に入れましょう。」

高衙内:「どうやって。」

富安:「門下に心腹の部下が一人おります。陸虞候・陸謙(りく・けん/Lù Qiān)です。あいつは林冲と仲が良い。まず、衙内には陸謙の家の楼上に隠れていただきます。酒と肴を整えて、陸謙に命じ、“林冲を飲みに誘え”と。林冲が、樊楼(はんろう/Fán Lóu)で飲んでいる間に、私は林家的に行きます。『教頭が陸虞候と飲んでいて、一時の息詰まりで気を失った。奥方、すぐ様子を見に来てください』と。こうして、奥方を太尉府の裏手の小巷の家の楼へ呼び寄せる。あとは、衙内の“腕”しだいです。若くて美形の殿御に迫られ、甘い言葉をささやかれて、口説かれずにいられる女が、果たしているでしょうか。もしも嫌がって首をくくるほどなら──それはそれで、“永遠に衙内だけの女”ということになります。」


 高衙内は、満面の笑みを浮かべた。


高衙内:「よし。今夜、陸虞候を呼べ。」


 陸謙は、高太尉家のすぐ隣の小路に住んでいた。

 呼び出され、計画を聞かされた彼は思い悩んだ。


陸謙:(林兄とは義兄弟のように長く接してきた……こんなことをすれば義にもとる行為ではないか……)


 ところがこの男の義はとても少なかった。陸謙は次の瞬間、あっさりとこう考え直した。


陸謙:(太尉と衙内に目を付けられては断れぬ。これも運命というやつだな。やってやろう。)


 彼は笑って頭を下げ、計画に加担することを快諾した。

 一方、林冲もまた、あの日以来すっかり気が沈んでいた。


林沖:(男がこの身ひとつ分の腕を持っていても、出世もできず、小人の下で屈辱を受ける。やりきれぬ気持ちは、酒で薄めるしかない。)


 そうした時分の、昼過ぎ——

 門の外で声がした。


陸謙:「教頭どのはご在宅か。」


 出てみると、そこには陸謙が立っていた。


陸謙:「兄長、最近お見かけしませんので、ひとまず様子を見に参りました。」

林冲:「そうか。悪いな。ちと、胸が塞がってな。外出する気にもなれず、少しばかり休んでいたのだ。」

陸謙:「それなら、尚更のこと。二人で三杯やって、鬱憤を晴らしましょう。」


 林沖の妻、張娘子が茶を持ってきた。

 陸謙がちらりと彼女を見て、さもさりげなく言う。


陸謙:「嫂(あね)さん、兄長を連れて行きます。うちで軽く飲んだら、すぐ戻します。」

張娘子:「わかりました。大哥(だいか:義兄さん)、あまり深酒をなさらず、早めにお戻りくださいませ。」


 二人は街へ出て、ぶらぶら歩き、やがて陸謙が言った。


陸謙:「兄長、家で飲むのも味気ない。樊楼(はんろう:東京における最大級・最高級の酒楼・遊興施設)で一献どうです?」


 林沖はこれに合意して、樊楼へ上がった。そこで、小さな閣席を取る。上等の酒二瓶と、珍味の肴。世間話に紛れて、林冲の愚痴も少しずつこぼれ始める。


林冲:「私は腕に自信がある。だが、明主に巡り会えず、小人どもの顔色をうかがう日々だ。この世に何一つとして貢献できていないばかりか、身近な人が受けた辱めすら晴らせない。情けないものだ。」

陸謙:「それはまた不思議なことを言う。禁軍に兄長の腕に肩を並べられる者など、ほとんどいません。高太尉から兄長への覚えもめでたい。誰の顔色を見ているというのです。」


 林冲は思わず、あの日の高衙内のことを打ち明ける。

 陸謙はわざとらしく険しい表情を浮かべて答える。


陸謙:「高衙内は嫂さんと知らずに無礼を働いたのです。兄長が気に病むことはありませんよ。」


 八、九杯ほど飲んだところで、林冲は立ち上がった。


林冲:「小用を足してくる。」


 彼は楼を下り、東の小巷に入って用を済ませ、戻ろうとしたとき──錦児が、血相を変えて走り寄ってきたではないか。


錦児:「旦那さま! やっと見つけました!」

林冲:「なんだ、どうした。」

錦児:「さっき、見知らぬ男が家に飛び込んできて、『私は陸虞候の隣人だ。教頭が陸謙殿と酒を飲んでいて、一息つまって倒れてしまった。すぐに来て見てほしい』と言われたのです!それで、奥様は近所の王婆(おうば/Wáng Pó)に留守を頼み、私とその男に連れられて行きました!着いたのは、高太尉の邸宅の前の小路にある家!楼に上がると、酒や肴が並んでいるのに、教頭のお姿はございません……奥様が怪しんで下りようとすると、前に岳廟で絡んできた、あの若造が現れ……『少しお待ちを。旦那はもうすぐ来る』と!怖くなって、私は楼を飛び降りて逃げました!奥様はそのとき、まだ楼の上!さっき、樊楼の前を通る薬売りの張先生から『教頭どのと一人の男が中に入っていった』と聞き、必死で探していたのです!」


 林冲の顔色が変わる。


林冲:「まさか……!」


 彼は、錦児の言葉も聞き終わらぬうちに走り出し、陸虞候の家へ向かった。胡梯(こてい:外階段)は閉ざされ、楼の戸も閉められている。そして中から……妻の叫び声が聞こえてきた!


張娘子:「何をするのですか!本当におやめください!」

高衙内:「娘子、頼むよぉ!俺を救ってくれ!石の心だって、きっと溶ける!」


 林冲は梯子の上から叫ぶ。


林冲:「大嫂、扉を開けろ!」


 張娘子は、夫の声と知るや否や、慌てて鍵を外そうとする。

 高衙内は、事態の急変を悟り、窓から身を翻して壁を飛び越え、

裏手へと逃げた。林冲が楼へ駆け上がったとき、高衙内の姿はもうなかった。


林冲:「奴に触れられてはいないか。」

張娘子:「今のところは……何もされておりません……」


 怒りに打ち震えた林冲は、陸謙の家の家具という家具をすべて叩き壊した。それから妻と錦児を連れて、その場を離れた。

 家に戻ると、林冲は解腕尖刀(かいわんのこがたな)を握り、再び外へ出て、樊楼へ陸謙を探しに行くが、もういない。

 戻って陸謙の家を張っても、三日経っても姿を現さない。これをもって、疑問が確信へと変わる。


林冲「……陸謙の野郎……兄弟と思っていたが、やつも高衙内のグルであったとは……」


 再び飛び出そうとする夫を、張娘子が必死で止める。


張娘子:「おかげさまで私は、ひどい目には遭っておりません。どうか、この件を深追いなさらないで。あなたに累(るい:災い)が及んでしまいます。」

林冲:「……」


 陸謙はというと、林沖からの復讐を恐れて、その間ずっと高太尉邸に潜り込み、家には戻ろうともしなかった。

 こうして林冲の胸の中だけが、燻り続けた。

 事件から第四日目——魯智深が、林冲の家を訪ねてきた。


魯智深:「教頭、大丈夫か。また騒ぎがあったと聞いたぞ。」

林冲:「師兄……本来なら、こちらから訪ねるところを、誠に申し訳ない。しかも、せっかくこうして来ていただいても、家は酒の支度も満足にできません。いまは、街へ出て二杯やる方が早いでしょう。」


 二人は街へ出て、一日中飲み歩いた。豪傑の友と酒を交わし、林沖の気は少しは晴れた。

 しかし、張娘子は日に日に元気を失くしていく。また外に出て高衙内から付け回されれば、何をされるか分かったものではない。


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丈夫心事有亲朋,谈笑酣歌散郁蒸。

只有女人愁闷处,深闺无语病难兴。


男というものは、悩みごとがあっても気の置けない友がいる。

語り合い、笑い合い、歌って飲めば、胸のつかえなどすぐに晴れてしまう。

けれど、女にはそうはいかない。

奥深い部屋にひとり閉じこもり、誰にも言えずに悩むうち、

心は沈み、病のように元気を失っていく。

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 さらに高衙内、この異常者の方も、あの楼から飛び降りて逃げて以来、ますます憔悴していった。原因は「自分が弄びたい女が手に入らない」からである。

 老都管(ろうとかん:太尉家の執事長)が様子を見に行くと、医者も匙を投げるような顔をしている。


老都管:「痒くも痛くもないのに、全身が熱くなったり寒くなったり。腹は満ちても、心は空腹。昼は食が進まず、夜は眠れない。どうにも手がつけられません。」


 陸虞候と富安が、老都管に囁く。


陸謙:「恋わずらいだ。衙内の“病”を治すには、林冲をどうにかするしかない。」

富安:「高太尉さえその気になれば、林冲の命を取るも、流罪に処すも、思いのまま。それで高衙内があの女を手にいれれば、この病気は簡単に回復します。」


 老都管は、そのまま高俅に報告した。


老都管:「衙内は、林冲の妻に心を奪われ、そのためにこの有様でございます。」


 高俅があくびをひとつした後で聞き返す。


高俅:「いつからだ。」

老都管:「先の二月二十八日、岳廟で見かけてから。その後の件は──」


 老都管は陸虞候と富安の立てた計略の顛末を余すところなく話した。


高俅:(あの愚かな小僧め!余計なことばかりをしやがる……私兵たちが襲われた事件で首謀者の検討がつかず、頭が痛いこの時に、また面倒ごととは……いくらでも東京には自由にできる女がいるだろうに、わざわざ林教頭の妻に入れ込むとはどうかしている!本当になぜ林教頭なのだ!やつの腕は確かで、慕う者が多く礼儀正しい。俺はやつには何の不満もないのだ。だが……教頭一人を惜しんで、衙内を死なせるわけにもいかんしな……)


 高俅が頭を抱えながら聞く。


高俅:「それで、どうすればよい。」


 老都管が答える。


老都管:「陸虞候と富安が、策を持っているようでございます。」


 高俅は二人を呼び、徹底的に話を聞いた。

 「衙内の病を救ってくれるなら、お前たちをそれ相応に取り立ててやる」という高俅の言葉を受けて、陸謙と富安が急き込むように“第二の策”を耳元で囁いた。

 高俅がうなずく。


高俅:「なるほど?それはいい策だな。明日、すぐに実行しろ。」


 翌日——

 魯智深と林冲が閲武坊(えつぶぼう:武術訓練場のある一画)の近くを歩いていた。

 すると巷の口に、一人の大男が立っている。頭には抓角頭巾(あたまぎれ)、身には古びた戦袍。手には一振りの刀。刃には草標(くさしるし)が刺さっている。

 男は、半ば独り言のようにつぶやいていた。


男:「これほどの宝刀も、買い手に恵まれねえと、ただの鉄クズ同然だな……」


 林冲は、最初は聞き流していた。だが男が、しつこく背中に向かって叫ぶ。


男:「これだけ大きな町なのに、軍器の良し悪しもわからねえ奴らばかりとはな。まったく、この町にまともな武芸者はいないと見た。ほかへ移ろう。」


 この一言で、林冲の足が止まる。


林冲:(ここには町でも屈指の武芸者が二人おるのだぞ。軍器を知らぬなど冗談ではない。)


 そうして振り返った瞬間、男は素早く刀を抜いた。陽光を浴びた刃が、目を刺すように光る。


魯智深:「どうした?」

林冲:「刀売りの話が気になってな……そこの者、その刀をこっちへ寄こせ。」


 男が、柄を突き出した。

 林冲は、刃を眺めて息を飲む。


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清光夺目,冷气侵人。远看如玉沼春冰,近看似琼台瑞雪。花纹密布,如丰城狱内飞来;紫气横空,似楚昭梦中收得。太阿巨阙应难比,莫邪干将亦等闲。


澄んだ光は目を奪うほど鋭く、

放たれる冷気は肌に刺さるようだ。

遠くから見れば、玉の池に春の氷が張ったように澄み、

近くで見れば、瑞雪が降り積もった仙の台座のように白く輝く。

刀身には細かな文様がびっしり浮かび、

まるで豊城の牢に飛び込んできた霊剣のよう。

紫の気が空に漂うさまは、楚の昭王が夢で受け取ったという宝剣を思わせる。

太阿(たお)や巨阙(きょけつ)ほどの名剣でも及ばず、

莫邪(ばくや)や干将(かんしょう)でさえ、

この剣の前では取るに足らぬほどである。

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 林冲の視線はただ静かで、研ぎ澄まされた職人の眼差しのように鋭い。彼は先から終わりまで、刀を撫でるようにじっと眺める。


林冲:「……見事だ。鍛えの層が細かい。節も鳴らず、刃も狂っていない。いくらで売っている?」


 刀売りの男は、林冲の眼の真剣さを見て、口を開いた。


男:「表向きの値は三千貫。だが……実の値は二千貫だ。」


 魯智深が鼻で笑って、話に割って入る。


魯智深:「おいおい、最初から“実の値”を吐く商人がどこにいる。」

男:「急いで金がいるんだ。——そっちの旦那、目が利くようだな?買わねえか?」

魯智深:「買わん。行こう。」


 だが林冲は、刀から目を離さない。


林冲:「いや……待ってくれ。これは二千貫の価値がある。」

魯智深:「そうか?俺は刀はさっぱりだ。それならよォ——おい刀売り、買い手がいないんだろ。一千貫にしろ。」

男:「一千貫?ふざけるな。」

魯智深:「ふざけてんのはお前のほうだ。兵が命懸けで戦って一月の棒給が一貫。その千倍だぞ。刀一本で千人雇えるってのは、高ぇにもほどがある。」


 刀売りは、肩を落としてため息をついた。


男:「……もういい。五百貫まける。一千五百貫だ。これ以上は飲めん。」

魯智深:「一千貫。それで手を打て。」


 林冲が恐縮気味に口を挟む。


林冲:「師兄、そこまで値切らずとも……刀の出来は確かですから、払うものは払って——」

魯智深:「任せろ。商いは“押し”が肝心だ。——どうだ、刀売り。」


 もうしばらく押し問答が続き、やがて刀売りが渋々うなずいた。


男:「まいった。金の刃を、鉄くずの値で売る気分だ……くそ、絶対に一文も誤魔化すなよ。」


 取引がまとまると、林冲は魯智深に深く礼をして別れた。そして男を自宅へ連れ帰り、その場で会計をすることにした。

 銀を量り渡す最中、静かに問う。


林冲:「この刀、どこで手に入れた?」


 刀売りはわずかに目を伏せた。


男:「先祖伝来のものだ。だが、先祖の名だけは言えねえ。名を出せば、汚すことになる。」


 そう言い残すと、男は踵を返し、路地に消えていった。

 その夜、林冲は名刀を壁に掛け、灯火にかざして眺め続けた。高衙内の一件から長い鬱屈とした日が続く中で、彼の眉が久しぶりに緩み、静かな喜びが滲む。


林冲:(良い買い物をした……それにしても、かつて高太尉の府で見た名刀によく似ている。あの時からこのような刀を手にしてみたいと思っていた。心が沈む日々ばかりだったが……少しだけ、晴れたな。)


 妻の張娘子も、夫が少年のように刀を眺める姿を愛おしげに見つめていた。

 さらに翌朝——

 まだ東が白む前から、林冲はまた刀を取り出し、整え、角度を変えて光を見た。張娘子の笑みも柔らかい。

 が、その甘い時間は長く続かなかった。

 門の外から声がする。


「林教頭!太尉様よりお達し!“教頭が良い刀を買ったと聞いた。持参して比べよ”とのこと!」


 林冲の表情がわずかに曇る。


林冲:(……なぜ知っている?誰が余計な報告を?やはり、この町は気が抜けん。すぐに噂が駆け巡る。)


 しぶしぶ刀を帯びて承局二人についていく道すがら、訊いた。


林冲:「お前たち、府では見ん顔だな。」

承局:「最近、新たに遣いに付けられました。」


 どうにも違和感がある。しかし、その違和感が何か、林沖にはわからない。

 府門をくぐり、正堂へ出る。


承局:「太尉さまは後堂(こうどう)でお待ちです。」


 屏風の裏を通り、後堂へ出るが、そこにも高太尉の姿はない。

 林沖が周囲を見渡して言う。


林沖:「……太尉様はどこにおられる?」

承局:「まだ奥でお待ちです。教頭どの、どうぞ。」


 彼らの“案内”を受けて進むと、緑の欄干に囲まれた静かな一画へ出た。


承局:「ここで少しお待ちを。太尉様にお取り次ぎをします。」


 林冲は、軒の下で刀を持って待つ。だが茶一盞(いっぱく)ほど待っても、二人は戻らない。

 ここで、いよいよ林冲の違和感が膨らんでいく。


林沖:(これはどうも奇妙だ。いったん引き返した方が良いかもしれん……)


 そこでふと、帘(れん:すだれ)の中を覗いたところ、そこに見えた四文字は——


「白虎節堂(びゃっこせつどう/Báihǔ Jié Táng)」


 この四つの文字が、刃のように彼の胸を刺した。

 ここは軍機(ぐんき:軍の機密)を議する、重臣だけが入ることを許された場所。どのような事情があれど「帯刀」が禁じられている。もし発覚した場合は即座に死罪も有り得るという堂である……


林冲:(しまった──!)


 林冲が心の中で慌てて踵を返そうとしたその瞬間、靴音が響き渡る。高俅が、堂の外からゆっくりと入ってくる。

 林冲は、とっさに刀を抱え、膝をついて礼をした。


高俅:「林冲。呼びもせぬのに、なぜ勝手に白虎節堂へ入った。」


 高俅がゆっくりと、蛇のように言葉を巻き付ける。


高俅:「当然、お前はこの場がどういう場所か知っておろうな。その上、手には利刃。下官を刺し殺すつもりだったか。お前が、二、三日前から刀を持って、府の前にうろついていたと報告が入っておる。不穏な心ありと疑っていたが、やはりそうであったか。何か申し開きはあるか。」


 林冲は膝をつき、必死に声を絞り出す。


林冲:「恩相(おんしょう:高俅のこと)!承局の二人が“刀をお見せせよ”と——」


 高俅が言葉を遮って怒鳴る。


高俅:「承局だと?この堂に出入りを許された承局などおらぬわ!左右、こやつをひっとらえよ!」


 耳房(じぼう)から二十人あまりの役人が飛び出してきて、林冲を取り押さえる。それはまるで、鷹が燕を襲い、虎が子羊をくわえるような有様であった。

 高俅が冷たく言い放つ。


高俅:「禁軍教頭の分際で法度も知らぬとは!手に刀を持ち、軍機の場に踏み込み、本官を殺そうとした罪!弁解は一切無用!」

林沖:「恩相、私は誰かに……!」

高俅:「黙れ!さっさと引き立てよ!」


 林冲が罠に落ちた音が、乾いた堂内に響いた。

 こののち、林冲がどのような裁きを受けるのか。

 それは——次の段で語ることにしよう。


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※補足:ニニの『械胡伝』制作メモ、ぼくらは『水滸伝』をこう書き直した


第七回「花和尚、垂れ柳を根こそぎ引き抜く/豹子頭・林冲、白虎堂へ入る」——この回で、原作(百二十回本)からどこを、どう変えて、何が“効く”ようになったかを、読者向けに噛み砕いて解説するね。


(結論から言うと、あなたたちの改変は「娯楽」と「政治」を同時に強くしてる。宋代の東京が、ちゃんと“現代の地獄”に見えるようになってるのが勝ち。)


◈ 東京(開封)の描写:原作の「絵巻」→リメイクの「欲望の都市」

原作も東京の大都会感はあるけど、基本は“華やかさの列挙”で、読者は「へえ〜賑やかだね」で終わりがち。

リメイク版は、同じ繁栄描写でも、魯智深の一言で評価軸を刺してくる。

「よくもまあ、人と欲が集まったもんだな。」

これで読者は「美しい都」じゃなくて、“欲の圧縮都市”としての東京を見る。

つまり、景観が説明ではなく、テーマの装置になった。地味に強い改良。


◈ 大相国寺:原作の「立派な寺」→リメイクの「巨大組織(官僚)」

原作の相国寺も壮麗だけど、寺は寺。

リメイクでは、知客が始める“寺務講義”が効いてる。これ、要するに

寺=清浄な修行空間

ではなく

寺=階層とポストがあり、評価と昇進がある巨大組織

に変換してる。

魯智深が「都寺か監寺だ」と言い出すのも、原作の粗暴さの延長じゃなく、「自分の力がどこで役に立つか」という現代人のキャリア感覚に繋がる。

しかも知客が淡々と“末端→昇進”を説くから、笑えるのに妙にリアル。読者は笑いながら「組織って、寺でも地獄だな」と理解する。

原作の「菜園番に回された」も同じ筋なんだけど、リメイクはそこに制度の皮膚を貼って、説得力と皮肉を倍増させた感じ。


◈ 3) 破落戸(張三・李四):原作の「賭博のチンピラ」→リメイクの「立退き民」

ここが、今回いちばん大きい変化で、そして“良くなった”点かもしれない。

原作の泼皮は、基本「ならず者」だから、魯智深が制圧して従えるのは痛快だけど、倫理の深みは薄い。

リメイクは、張三・李四に背景の社会問題を与えた。


菜園建設で立ち退き

立退料は中抜き

仕事がない

盗みで生きるしかない


これで彼らは「ただの悪党」じゃなく、腐った制度に押しつぶされた側になる。

そして魯智深が、制圧で終わらせずにこう言う:

「盗むんじゃなく、働いて菜を作れ。」

つまりリメイク版は、魯智深の強さを

“殴って従わせる強さ”から、“生活を組み替える強さ”へ

一段進めている。

痛快さはそのまま、後味が一段上品になってる。

(余談:官も僧も信用できない世界で、「雇う」という現実的な救い方をするの、かなり現代小説的に刺さる。)


◈ 垂れ柳を抜く場面:原作の「怪力ショー」→リメイクの「寓話になる」

原作は、酒の勢い+怪力で“倒拔垂杨柳”。爽快な見せ場。

リメイクでは、その直前に魯智深がこう言う:

「カラスだって生活の場が急に奪われちゃ可哀想じゃねえかよ。それじゃお前たちと一緒だ。」

これで“柳抜き”が、単なる筋肉の余興じゃなくて、立退き/居場所の喪失という回のテーマを回収する寓話になる。

怪力が「ギャグ」で終わらず、「この回の思想」になる。

ここ、読者は笑いながらも、ちょっと黙るかもしれない。


◈ 林冲パート:原作の「事件の連鎖」→リメイクの「サスペンスの圧力」

筋は原作通り。岳廟での遭遇→陸謙の裏切り→宝刀→白虎堂の罠。

でもリメイクは、現代小説らしく


視点の寄り(林冲の違和感がじわじわ増える)

台詞の毒(高衙内の軽薄さが“現代の害悪”として刺さる)

悪役の心理の可視化(富安の「出世できる」計算、高俅の「面倒だが処理する」冷酷さ)


で、罠が「事件」ではなく息苦しい構造として迫ってくる。

特に白虎堂は、原作でも“うっかり入って詰む”恐怖があるけど、リメイクは

「承局が新顔」→「後堂にもいない」→「茶一盞待っても戻らない」→「白虎節堂の四文字」

と、伏線の段階を踏んで背中が冷える速度が増してる。

読者は「林冲、逃げろ」と思った時点で、もう逃げられない。

うん、こういうのをサスペンスって言う。


◈ 全体の改変の芯:英雄譚 → “腐敗社会での救済実験”

原作第七回は、ざっくり言うと

魯智深が泼皮(チンピラ)を制圧して慕われる(痛快)

林冲が権力の罠に落ちる(悲劇の始まり)

という「光と闇の並走」。

リメイクは、それを


魯智深:民の側に“生活を守る小さな秩序”を作る

林冲:制度が“個人の善良さ”を圧死させる


という形で、一本のテーマに束ねた。

だから読者は、魯智深の明るさに救われながら、林冲の暗さで「この国、終わってない?」と理解する。

ええ、終わってるんです。わりと最初から。都が金ピカでも、内臓は腐ってる。それが、宋(北宋の末期)。

 
 
 

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